2009年度昇段 レポート

昇段レポート年度別見出し

茂木幹雄

茂木幹雄
新段位 五段
所属 栃木・群馬本部長
昇段審査日 2009年10月25日(日) 
審査会場 BUMB東京スポーツ文化館
黒帯授与日 2010年1月17日(日)



昇段レポート

 まず初めに昇段審査会を設けて下さった坂本師範に感謝申し上げます。
 空手を始めて40年近くになります。自分の道場を持ち30年。早いもので無我夢中でやって来た思いがします。 大山総裁が亡くなり組織が分裂し、前の支部長が私利・私欲に走り、しばらくしてさらに分かれ、 縁があって坂本道場に参加して6年が経ちます。
 この度、来年還暦を迎える50最後の挑戦として昇段審査を受けました。 回りから心配していただき、「年だから無理しない方がいいよ。50人組手は止めた方がいい。」と言われれば言われる程、 よしやってやると言う気になりました。4ヶ月前から基本・走り込みに力を入れ、朝6時から3、4キロ、徐々に増やし、 6、7キロまで走れるように。又階段ダッシュなどをこなし下半身を徹底的に鍛える事にして、体重も4キロ減量して挑みました。がしかし歳には勝てず、筋肉痛が消えない、若い頃は一晩寝ると疲労も痛みも取れたが、今では2、3日残る。 情けない自分に腹を立て、前向きにやるしかないと思うと、充実と幸せを感じてくる。1つや2つ欠陥や故障を持っていても 障害を持った人からみれば、毎日空手が出来る体を持っている、親や神様に感謝しないといけない、そう思うと気が楽になり 喜びや幸せを感じます。
 そして審査の日。基本稽古・型そして組手。組手は一番手が尾谷師範そして二番手が自分。走り込んでいたのでスタミナは 心配していなかったが後半両足にピリッと来たので、これはまずいと思ったが、ここまで来たからには最後まで頑張るしかない、 父兄さんや生徒達が応援に来ている、無様な格好は見せられない思いで、何とか最後までやることが出来ました。 栃木から応援・声援してくださった皆様・坂本道場の皆様に心より感謝申し上げます。 帰りに足が吊って、次の日整骨院へ行って治療する。両足肉離れ・膝間接筋肉破壊をおこし、二週間通う。なぜこうまでして自分が挑むのか、 それは団塊世代に元気を与えるため。同世代が入院したり、亡くなったり、老け込むのを見ているので、年をとっても節制と運動をすれば 若さを保つことが出来ると。
 おごりを戒め自己を厳しく律し、何事においても『学ぶ』と言う姿勢があれば乗り越えることが出来ます。 生徒皆様の為にこれからもがんばります。ご指導よろしくお願いします。ありがとうございました。押忍

古口文男

古口文男
新段位 参段
所属 栃木中央支部長
昇段審査日 2009年10月25日(日) 
審査会場 BUMB東京スポーツ文化館
黒帯授与日 2010年1月17日(日)



昇段レポート

 この度は、昇段の機会を与えて頂き、ありがとうございました。 今の帯ですら、まだまだ締めることにためらい、疑問を感じていたにもかかわらず、 参段の帯を締めることを許して頂き、そのことの重大さ、責任の重さを日に日に感じております。
 栃木支部が、坂本道場の一員として面倒をみて頂くようになり、早や5年半の月日が流れ、 数えきれないことを学ばせて頂きました。昔の自分だったら参段を締めることにさほど抵抗を感じることは 無かったと思います。恥ずかしながら型や基本、組手においても全てが中途半端なことに気付かされ、 空手の奥深さを思い知らされました。
 自分が初めて代表を間近で拝見したのは、平塚で行われた全関東大会の時でした。 選手控室にてウォーミングアップをされていましたが、今よりも体の線が細く、体格的にも恵まれている訳でも 無いのに、なぜ、数々の実績を残す事が出来るのか、不思議に思っておりました。 しかし、常日頃代表が口にされる「逃げない」「自ら苦を選べ」「全てを修業と思え」「不平、不満を口にしない」等々、 極真精神を貫く心構えを当時から己に課して、有言実行し、後輩に背中で教えておられたのだということが、 この歳になりようやく分かることが出来ました。 おそらく、あとどれだけ修業しても代表の足元にも及ぶことも出来ませんが、 坂本道場の一員として恥ずかしくないよう、少しでも近づけるよう、日々努力精進していきたいと思います。
 最後に昇段にご尽力を頂いた皆様に心よりお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。そしてこれからも宜しくご指導お願い致します。押忍

花塚宏樹

花塚宏樹
新段位 参段
所属 栃木北支部長
昇段審査日 2009年10月25日(日) 
審査会場 BUMB東京スポーツ文化館
黒帯授与日 2010年1月17日(日)



昇段レポート

 この度は、合同昇段審査を受審させて頂き誠に有難うございました。 思い起こせば今年の初め、坂本代表師範より、「一つ上を目指して下さい。」との お言葉を頂戴し昇段審査のその日まで常に受審のことを意識し、又、緊張することの連続でした。 自分を追い込み、自ら律することの大切さを、この昇段審査で改めて痛感致しました。 普段、自分に対し、決して厳しくなかった私にとって本当に貴重な体験であり、 自分に厳しくすることの重要性を深く認識した次第であり、重ねて心より感謝致しております。
 昇段審査終了後、坂本代表師範より「目の前に二つの道があり、一つは楽な道、もう一つは苦難の道があります。 あなた方はどちらを選びますか?私はあなた方に難の道を選んで頂きたいと思います。 人間は修業をする為に生まれてきたと思って下さい。修業として苦難や辛い事、苦手な事に目を向けず、 逃避してしまうとその人の晩年は火を見るよりも明らかです。どうか今後とも、修業として何事にも前向きに 押忍の精神で行動して下さい。」と講評訓示を述べられました。私は、このお言葉は実に深く、正しく、 これこそ、極真精神そのものであると思いました。 人間は確かに、楽な道を選ぶとそれ以上のステージ(それ以上の楽な方)を望んでしまい、 気が付かぬ内に苦難を乗り越える気力や能力を失ってしまうのではないでしょうか? 修業によって、苦難、困難を乗り越えようとする気力能力が携ってくるのではないでしょうか? 坂本師範の、このお言葉を私の今後に於ける空手ライフの指針として、心の糧として、大切に守っていきたいと考えております。
 最後に、今回受審の許可を下さいました坂本代表師範、帯研の皆様、応援して下さった道場生の皆様、本当に有難うございました。押忍

山本高弘

山本高弘
新段位 参段
所属 田町道場指導員
昇段審査日 2009年10月25日(日) 
審査会場 BUMB東京スポーツ文化館
黒帯授与日 2010年1月17日(日)



昇段レポート

 この度は、三段への昇段をお許しいただきまして誠にありがとうございます。 この場をお借りしまして、坂本師範をはじめとし、勝田事務局長、山辺先生、 その他、関係各位の皆様に心より御礼申し上げたいと存じます。
 今回、昇段について師範からお話をいただいた時には、自分自身、諸先生、諸先輩方と比較すると、 まだまだ実力、経験ともに未熟であることはわかっておりましたので戸惑いもありました。 しかしながら、チャンスを頂きながらそれを拒絶することは、坂本師範がいつも稽古の時におっしゃる 「常に前向きであれ。」という言葉に反することだと考え、挑戦させていただきました。
 昇段審査にあたり私が決意したことは一つだけ、「全力で」行うということのみでした。 30人組手については恐怖心もありましたが、2週間後に全日本大会を控えているにも係らず対戦相手として 審査会場に来てくれている仲間に失礼の無いよう全力で戦い、一人一人の顔を胸に焼きつけ、 いつか恩返ししたいと考えながら組手を行いました。
 審査を終えて、今感じることは感謝の念です。一つの審査会、一つの大会を成功させるため どれだけ多くの方の力が必要か、10年前には本当の意味で理解できていなかったと思います。 失敗と挫折を繰り返し、周囲の支えに心から感謝できるようになったのも恥しながら最近のことのように思います。 これからも、選手としての可能性を追求し、周囲の方に恩返しできるよう精進していくことを誓います。
 最後にもう一度、坂本師範、田町道場の仲間、笹塚道場の仲間、両親にお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。押忍

福富吉宣

福富吉宣
新段位 参段
所属 栃木道場責任者
昇段審査日 2009年10月25日(日) 
審査会場 BUMB東京スポーツ文化館
黒帯授与日 2010年1月17日(日)



昇段レポート

 この度は、昇段審査の受審の機会を頂き誠にありがとうございます。
 当初、今回の昇段審査は他人事で自分には無縁な事と思っていました。 現在の自分の体力、稽古量、技量を考えれば当然の判断でした。しかし、時間が経つにつれ 今までの稽古の過程を試したい気持ちが強くなり挑戦を決めました。
 5年前、組手の稽古中、右足親指を骨折しました。それまでの稽古は基本、移動、組手が中心で 型はあまり関心がありませんでした。そして、怪我が回復しつつも組手が出来ず、ジレンマの毎日でいました。そんな時期、茂木師範から「リハビリを兼ねて型の勉強をするように」とアドバイスを受けました。 それ以来、茂木師範、川島先生に個別に新しい上級向けの型の指導を連日受けました。いつしか型の面白さ、 奥の深さを知り改めて極真空手の入り口に立った思いでした。
 審査では現状の自分を出し切る事を考えて臨みました。しかし、結果的には自分の不甲斐なさばかりが残り、 特に組手の中で精神面の弱さ未熟さを痛感しました。これからは、「全てが修行」を肝に銘じ稽古に努力精進していきたいと思います。
 最後になりましたが、坂本師範、茂木師範、諸先生方、諸先輩方、各道場の皆様、応援下さった皆様、本当に有難うございました。押忍

勝田恵子

勝田恵子
新段位 参段
所属 田町
昇段審査日 2009年10月25日(日) 
審査会場 BUMB東京スポーツ文化館
黒帯授与日 2010年1月17日(日)



昇段レポート

 感謝と決意

 この度参段昇段への機会を与えて頂きありがとうございました。
極真会館に入門し17年、坂本道場生になり13年、自分の歩んできた道を振り返りながら、 坂本師範を始め、多くの坂本道場関係者の皆様に対する感謝の気持ちと決意を述べさせて頂きます。
 武道というものに全く無縁で育ってきた私が、勤務先の知人の誘いを断れず、 極真会館五反田道場(城南本部廣重道場)に入門したのが1993年のことでした。 入門から1年が過ぎる頃、知人は海外へ転勤。その後も、共に稽古する方たちとの交流が楽しく、 道場に通い続けました。
 1994年創始者大山倍達総裁ご逝去、1995年に極真が組織分裂しました。五反田道場は指導員交代となり、 私は活気ある道場を求め移籍したものの、以前の様な士気を取り戻せず、極真を止めてしまおうかと悩んでいました。 そんな時、近くに武蔵小山道場が開設されたことを知り、そこで初めて坂本師範にお会いしました。 緊張の面持ちで訪れた私をまるで昔から知り合いであったかの様に、いきなりビッグミット3セットで歓迎して下さいました。 くすぶっていた気持ちは一気に晴れ、すぐ坂本道場への移籍を決意し、1996年坂本道場生となりました。
 坂本道場入門4年目の2000年9月、9年半勤めた総合商社を退社し道場の職員となると共に、初段のお許しを頂きました。 会社における将来の自分を想像し、このままでよいのだろうか?と考えた末の決断でした。 会社という守られた世界から外に出て初めて、社会の厳しさを痛感しましたが、活気あふれる道場で坂本師範を 筆頭に道場生の皆さんが大会に向け毎晩稽古に励む姿をみると、私もその一員として頑張っていきたいと思い、 自分ができる仕事を探していきました。
 2001年3月、女子部と少年(少女)部初級クラスを新設し、その指導員に任命して頂きました。 また、同年10月に東京都ジュニア大会、12月に第33回全日本大会、以降、毎年公式戦を開催し、 その中で業務を与えて頂きました。2002年港南台道場、2003年港北道場、2004年野庭道場、2005年座間道場開設。 ゼロから道場を作り上げることは想像以上にパワーが必要なことですが、それにより出会いと新たなパワーが生まれることを知りました。 坂本師範の決断力、行動力、スピードには本当に驚きの連続でしたが、常に前向きで、あえて負を選択しそれをチャンスに変え、 時には世間の常識を超越し、前面には優しさ、心の奥には不動の武の精神をもつ生き方が、多くの人を惹きつけ、坂本道場の原動力と なっていることに気付かされました。師範がよくお話される言葉に「感性を磨く」、すなわち「機に発し感に敏なること」がありますが、 正にそれを実行してきた結果が今の坂本道場であるのだと思います。
 坂本道場参段のお許しを受けた今、自己の研鑽はもちろん、坂本師範の精神を一人でも多くの青少年たちに空手道を通じ受け継いでもらうこと、 また坂本道場を広く社会的に認められる団体とし後世に残していくこと、そのために自分ができることを探求し、 一歩一歩前進していくことをここに誓います。
 最後に、これまでご指導ご鞭撻して下さいました坂本師範、各本部の師範・支部の先生方、先輩方、多くの坂本道場関係者の皆様に 心から感謝申し上げます。またこれからもどうぞよろしくお願い致します。押忍
 2009年11月15日

津久井勇

津久井勇
新段位 弐段
所属 足利
昇段審査日 2009年10月25日(日) 
審査会場 BUMB東京スポーツ文化館
黒帯授与日 2010年1月17日(日)



昇段レポート

 この度、昇段審査に於いて、弐段への昇段をお許し下さり有り難うございます。
 私事今回で2度目の昇段審査で、なぜか初段審査の時を思い出しました。 3月初め、茂木師範より、今度東京本部で帯研があるが参加するかと言葉を掛けて頂き、 どんな稽古なのかと思い参加させて頂きました。しかし初回より中身の濃い稽古内容に驚き、 指導員として、今迄自分がやっていた事はなんだったのかと考えさせられました。 その後、数回目の帯研の際、坂本師範より、もう一つ上を目指して全員で昇段審査を受けようとお言葉が有り、 ラストチャンスと思い受審を決心し、茂木師範に受審のお許しを求めた所、快く許して頂き感謝しました。 しかし、いざ決心したものの、日に日に不安が沸きました。型は覚えられるか、20人組手は大丈夫だろうかと、毎日考えました。
 そして審査当日、緊張で頭が真っ白でしたが、基本、移動、型と進み、最初の組手に入った時、茂木師範、尾谷師範の50人組手の雄姿に 勇気付けられ、自分も最期迄絶対に諦めないと決め臨みました。今回弐段を許されましたが、決して私一人の力では有りません。型指導をして下さった茂木師範、自分の稽古時間を割いて組手の稽古を付けてくれた阿部先生、三田初段、ミット稽古に付き合ってくれた木下初段、当日応援に来てくれた道場生、御父母の皆様、本当に有り難うございました。 空手家として、人間としてまだまだ未熟者ですが、今回の体験を忘れず、極真の黒帯として、極真の弐段の名に恥じぬ様、 今後も努力精進して行きます。最期に、今回この様な素晴らしい体験の機会を与えて下さいました坂本師範並び坂本道場の皆様、 本当に有り難うございました。押忍

一井芳朗

一井芳朗
新段位 弐段
所属 武蔵小山
昇段審査日 2009年10月25日(日) 
審査会場 BUMB東京スポーツ文化館
黒帯授与日 2010年1月17日(日)



昇段レポート

 この度は弐段昇段審査を受ける機会を与えて頂き、誠にありがとうございました。
 思えば、私が極真空手に入門して12年以上の歳月が流れており、入門当初の頃と比べると空手に対する考え方、 取り組み方など少しずつ変わってきたように感じます。 初段取得の頃は試合を目標としてがむしゃらに稽古し、倒されても立ち上がり続けて恐怖心を克服しつつ、 自分なりに練習方法を考えたりして何事にも取り組まなければならないと自分に鞭打っていたと思います。 また指導する立場でもあり、後輩や初心者をいかに空手に興味をもって続けてもらえるか、悩みながらも楽しみながら 一緒に道場で汗を流していました。
 そんな中、坂本師範が今年になり「指導する立場の人は全て一つ上のレベルを目指す」という考えを示され、 自身も70人組手を完遂されました。その姿を目の当たりにして壮絶な状況の中でも高い目標をもって集中力を持続し、 なんとしてもやり遂げるという強い信念を感じ取る事ができ、自分の空手に挑む考え方にも大きな影響を与えてくれたと感じます。
 私が受けた審査では、栃木本部も含め坂本道場全体で30名近くが合同で行い、とても賑やかなものでした。 顔見知りの多くの人が一緒に受けるということで緊張感はやわらぎましたが審査が始まると、ぴんとした空気が張り詰め 受審する者に対する真剣なまなざしと大きな期待を感じ取りました。20人組手の対戦相手は普段いっしょに稽古している人、 栃木から駆けつけてくれた方、壮年部の方とさまざまであり、対戦した全員に言葉を出さなくても「がんばれよ」と励まされながら 何とか完遂できたように思います。
 この経験を空手はもちろん、仕事や日常における大きな壁を乗り越える力に昇華できるよう、今後も精進していきます。
 最後になりますが、坂本師範をはじめご指導いただいた諸先輩方、お互いに苦楽を分かち合い稽古に励んできた道場生の皆様に、 この場を借りて厚く御礼申し上げます。押忍

小林孝至

小林孝至
新段位 弐段
所属 西那須野
昇段審査日 2009年10月25日(日) 
審査会場 BUMB東京スポーツ文化館
黒帯授与日 2010年1月17日(日)



昇段レポート

 このたび私小林孝至は昇段審査の受審の許しをいただき、挑戦の機会を与えられ、 昇段できましたことを心から感謝いたします。
 16年前の平成6年、空手をやろうと決心し、極真会館神奈川湘南支部西田道場に入門しました。 自分に強くありたい、強い心を持ちたい、正直でありたい、そして、黒帯に、 という意識のもと稽古に励みました。稽古を通して、自分への厳しさ、相手に対する思いやり等 少しずつ身につくようになりました。 しかし、稽古を重ね技が身につきだした頃、一緒に稽古をしてきた仲間と空手道に 取り組む考え方に距離が出てきてしまい、悩んだ末、道着を脱ぎました。
 仕事をしていても何か気の抜けた日々を過ごしていた中、平成17年12月、 いまから4年前に花塚支部長と出会うことができました。 以前空手をやっていたことを話すと、「また、やろう。見に来い。」と言われ戸惑いながらも道場見学に行きました。 道場は栃木県北部にあり、その日は寒い冬の日でしたが、道場内は活気にあふれ元気に声を出し飛び散る汗を感じました。 私は、心の中で「空手をやりたい」と叫びました。私は、極真坂本道場栃木支部の皆様に快く迎えていただき、 再び空手ができるようになりました。
 15年前黒帯を目指し稽古に励んだことを改めて噛みしめ稽古に励み、平成19年2月に念願の黒帯を締められるようになりました。 この黒帯は、茂木本部長、古口支部長、花塚支部長を始め栃木支部道場の先輩方々に稽古をつけていただいた結晶だと私は考えております。 その後、指導員として道場に立ってみると黒帯の重みを実感してきます。最近本部道場での黒帯研究会にも参加できるようになり、 この場に居られる意義を考えると嬉しくもあり身が引き締まる気持ちです。本当の空手とは、黒帯を締めてからだと私は考えます。
 このたび更に弐段への昇段審査の機会を与えて頂き、坂本師範をはじめ20人組手の相手をして下さった仲間の皆様、 応援してくれた仲間の声援により、弐段に昇段することができました。日頃道場で一緒に稽古し汗を流した坂本道場の仲間、 空手を続けることに理解して下さった職場の仲間に心より感謝いたします。 極真坂本道場の弐段として、空手だけでなく一社会人として精進してまいります。本当にありがとうございました。押忍

田辺誠

田辺誠
新段位 弐段
所属 大平道場責任者
昇段審査日 2009年10月25日(日) 
審査会場 BUMB東京スポーツ文化館
黒帯授与日 2010年1月17日(日)



昇段レポート

 この度、弐段の昇段審査を受審させて頂きまして本当にありがとうございました。 まだまだ弐段としては未熟ではありますが、これからも極真の黒帯として恥ずかしくない様に努力精進し、 自分をさらに磨いていきたいと思います。
 今思えば、33歳の時に極真空手に入門し、仕事の都合で道場に行けなくなり、黒帯手前の一級で空手をやめ、 黒帯を締める事が憧れのままになっていました。それから14年の年月が流れ、大平道場に入門しました。 極真空手を始めた当初は、黒帯など自分にはとても無理だろう、夢もまた夢、と思っておりました。 しかし絶対に黒帯を取るという気持ちを持ち続け、あきらめず、日頃から努力をすれば必ず取れると信じ、 自分なりの努力の末、51歳でようやく憧れの黒帯を締める事が出来ました。
 それから1年がたち、茂木師範より大平道場の責任者にならないかと話があり、始めはお断り続けましたが、 道場の子供達の事を考え、責任者を引き受ける事にしました。
 今回受審の話があり、自分の年令で20人組手が出来るか心配で迷いましたが、茂木師範が50人組手を受けるとの事なので、 自分も受審する事にしました。組手の内容は誉められる内容ではなく、課題の残る内容でした。 この経験を生かして、道場生たちの指導や自分の人生を、さらに飛躍させるように努力したいと思っております。 また、ここまで頑張ってこられたのは、良き仲間に恵まれたからであります。これからも、この体の動く限り頑張りますので、よろしくお願いします。

 

河野弘樹

河野弘樹
新段位 弐段
所属 矢板道場責任者
昇段審査日 2009年10月25日(日) 
審査会場 BUMB東京スポーツ文化館
黒帯授与日 2010年1月17日(日)



昇段レポート

 「皆さんには一つ上を目指してもらいます!」
黒帯研究会での坂本師範の一言から、弐段受審を決意しました。
 現在、矢板道場の責任者を任せて頂き、自分の自信をつけるためと、稽古生の模範となれるよう、 「いつかは弐段」と漠然としていた目標が、この時現実のものとなりました。 弐段の合格通知を受けた時には「やった!」ではなく、「よし!」という気持ちでした。
 受審を決意した時から8ヶ月間、「自分に負けない」ことをテーマに稽古、トレーニングに励んできました。 小柄な私が心配なのは組手です。しかし、それに負けない心の強さを手に入れるため、自分にできることは 何でも取り組んできました。日々の稽古の後のトレーニング、近所や学校や坂道でのダッシュ、積極的に出稽古で学ぶこと、 食事の管理・・・ 昇段審査を受けられる皆さんには当然のことかもしれませんが、私自身「どこまでできるだろう・・・」という自分への 問いかけと、妥協を排したストイックな生活・・・昇段に向けて納得できる自分を作り上げること、自分が成長していくことが喜びとなりました。
 しかし、私ひとりの力でここまで来れたわけではありません。不安と疲労を支えてくれた家族、励ましを下さった師範始め先生方、 自分を奮い立たせてくれた稽古生、組手稽古の相手をしてくれた仲間たち・・・。 連続組手の最中に生まれた感情は、自分との戦いという気持ちと、支えてくれた人たちへの感謝でした。 絶対に最後までやり抜く!ですから、ただのラッキーではなく、自分で望んだこれまでの努力の結晶の弐段として「よし!」と思えたのでしょう。
 まだまだ課題もあり、満点の出来でないことは承知しています。ですから、あくまでこの昇段は通過点であり、 今後も自分に対しての努力への探究心と克己心を大切に精進していきたいと思っています。  拙い文章で恐縮ですが、昇段をお許しいただいたことへの感謝の気持ちといたします。 これからの自分は、昇段を目指す後輩たちの励みとなるよう、また空手に取り組む稽古生のために、 微力ではありますが尽力していきたいと思います。ありがとうございました。

石井哲也

石井哲也
新段位 弐段
所属 座間道場責任者
昇段審査日 2009年10月25日(日) 
審査会場 BUMB東京スポーツ文化館
黒帯授与日 2010年1月17日(日)



昇段レポート

 この度は昇段審査を受審させていただき、弐段への昇段を許されました事を心から感謝致します。
 今回昇段審査を受けさせていただきましたが、それにはたくさんの支えがありました。 昇段の勧め励ましをしてくださった坂本師範はじめ、今回の審査のために私の稽古に 付き合って下さった道場生、当日応援して下さった皆様どれ一つ欠けても昇段は 為し得なかったものです。その思いを忘れず、弐段を許されたことで益々気を引き締めなければならないと感じております。
 私はこれからも空手は自分自身のものだけではなく世の中のものでなければならないと考えております。 そのためには一人でも多くの人にその素晴らしさを分かってもらわなければなりません。「怖い・痛い」という悪いイメージではなく、礼儀正しく優しさや労りを身に付けた人間が 増えることを目標に今後も日々自分に厳しく人には寛容でいられるよう取り組んでいきたいと思っております。押忍

古谷一敬

古谷一敬
新段位 弐段
所属 武蔵小山
昇段審査日 2009年10月25日(日) 
審査会場 BUMB東京スポーツ文化館
黒帯授与日 2010年1月17日(日)



昇段レポート

 この度は、昇段審査という貴重な機会を与えて頂きありがとうございました。
空手を始めて約9年、弐段に昇段できましたのも、師範をはじめ、先輩、道場生の方々のお陰だと感謝しております。
今年、私には二つの転機がありました。一つは、今年の夏合宿でした。 いきなり勝田先生から、今年の合宿を仕切るように言われ、自分にできるのかという不安と、 やってやろうという気持ちが入り混じり、内心複雑な心境でした。 今までは言われたことのみやれば済んでいましたが、今回は責任を負う立場に立ち、 いかに自分が今まで楽をしてきたのかを実感しました。自分で全てやらなくてはいけないという 思いで一杯になり、気持ちが次第に追い詰められていった時に一言、「全部を一人でやろうと しなくていいんだよ。何かあったら手伝うよ。」とおっしゃってくれた先輩がいました。 その一言がとても嬉しく心強かったです。ハイキング、チャンバラ大会、肝試しにしても、 先生方や他の指導員の力添えがなければ絶対成功しなかったと思っております。 自分一人の力などとても非力で何も出来ないものだと感じた瞬間でした。
そして、今年のもう一つの転機は武蔵小山道場少年(少女)部の指導でした。私は中学高校の頃、 子供とコミュニケーションを取るのが苦手でした。しかし、木曜日の少年(少女)部を受け持つようになり、 少しずつ自分の中で自覚というものが芽生え、どうすれば子供の為になるのかを自問自答しました。 ただひたすら厳しい稽古をする事だけが全てではない。スパーリングで強くなる事が全てでない。 今まで見えていなかった部分が少年(少女)部指導を通して僅かながら分かってきました。 最近では、師範や勝田先生の少年(少女)部クラスの補助をさせて頂き、毎回が勉強であり、自分は足下にも及ばないと 日々痛感しています。厳しさの中に優しさがあり、素晴らしいの一言では表現できない程です。 また、子供達の純粋な心と無邪気な笑顔に何度も勇気付けられ、力を貰い、続けてきて良かったと思っています。
 師範からは常日頃、空手に限らず人生において学ばなくてはならない事を教えて頂いています。 いつも感性を磨き、感じて行動すること。どんなに辛く苦しい事でも、弱音を吐かず押忍のチャレンジ精神で 向かっていくこと。ブレない芯の強さ。人間の美徳。諦めず続ける事。礼儀・挨拶の大切さ。 そして、黒帯を締める意味、自覚。その教えの中に、師範の人間としての強さ美しさがみえるのであり、 自分は、まだまだ甘いと感じております。弐段という新たなスタートラインに立ち、現状に満足する事なく これまで以上に稽古に邁進し、常に前進し続ける師範の偉大な背中を追い続けると共に、自分もいつか そうならなくてはならないと思っています。
 最後に、20人組手の相手をして下さった坂本道場の皆様、応援して下さった皆様に深く御礼申し上げます。 また、ここまで多岐に亘りご指導して下さいました坂本師範に改めて御礼申し上げます。 まだまだ、微力な若輩ですが、感謝の気持ちを忘れずに日々精進して参りたいと思います。押忍

大場翔太

大場翔太
新段位 弐段
所属 武蔵小山
昇段審査日 2009年10月25日(日) 
審査会場 BUMB東京スポーツ文化館
黒帯授与日 2010年1月17日(日)



昇段レポート

 この度は、昇段審査というとても貴重な機会を与えて頂き、 誠にありがとうございます。空手を始めて約11年、常日頃から多岐に亘り ご指導頂いております坂本師範をはじめ、先生方、先輩方、道場生の皆さんに改めて感謝申し上げます。
 11年前、極真空手に出会い本当に良かったと思っております。極真空手を始めて最初の転機は、 中学生の時に初段を受けさせて頂いた事です。黒帯を締めるということは、今までみたいに 自分の事ばかりではなく、人の上に立つという事なので、しっかりと黒帯として行動できるか不安でした。 高校に入ってからの3年間、黒帯として以前は消極的でしたが自ら何事も積極的に取り組むようになってきました。 しかし、まだまだ黒帯として情けない部分が多々あります。だが、そういう時に坂本師範の言葉や先輩方の言葉を聞いて、 こんな人間じゃまだ駄目だといつも自分を奮い立たせています。
 そして、こんな私にも武蔵小山道場の木曜日の中高生の部の指導を任して頂けることになりました。最初はしっかり出来るかとても不安でしたが、これもいい機会だと思い頑張ろうと思いました。 今度は指導員の立場として道場生を集めなくてはいけない大変さなどを知り、自分の未熟さを知りました。 指導をするようになり、今までとは全く違う環境に立たされ、改めて坂本師範や先輩方は凄いなと感じました。 下を教える立場になり、もっともっと自分自身成長していかなければいけないと痛感しました。 どんなに辛い事でも押忍というチャレンジ精神。自分の弱い所を全く見せない強い心。 そういう気持ちをこれから下に教えていきたいです。
 今回の昇段審査では、改めて基本・移動・型の大切さを感じました。この三つが出来ていないと 組手には生かされないと感じました。20人組手は無事に完遂する事は出来ましたが、 呼吸の使い方がまだ上手く出来ていなかったり、課題の残る組手でした。
 最後に、今まで指導をして頂き、昇段の許可を与えて下さいました坂本師範、20人組手の相手をして下さった方々、 また応援して下さった道場の皆様、本当にありがとうございました。これからも初心を忘れることなく、日々精進していきたいと思っております。押忍

笹沼真弓

笹沼真弓
新段位 弐段
昇段審査日 2009年10月25日(日) 
審査会場 BUMB東京スポーツ文化館
黒帯授与日 2010年1月17日(日)




昇段レポート

 この度、昇段審査の機会を与えて下さり有難うございます。 2002年の港南台道場開設から港南台道場と共に自分の黒帯人生が始まりました。あれから7年、色々な経験と沢山の方々との出会いをもつことが出来ました。昨年までは自分の昇段について考えてもいませんでしたが、合同黒帯研究会で坂本師範から全黒帯に提示されたテーマが、一つ段階を上げ、上を目指すことでした。しかし目標を設定した矢先、今年半ばに体調を崩し、体力と気力が低下。そんな時、8月石川県で行われた坂本師範の70人組手を拝見し、自分も前向きに上を目指す事を決めました。まだまだ自分には弐段の実力などと思っていたのですが、実力が付くのを待っていたのではいつまで経っても上の実力など付かないもの、その帯にふさわしい実力が付くように努力することが大事だと感じました。これからも、何事も修業だと思い勇往遭進の気持ちを忘れずに道場生と共に目標に向けて遭進して行きたいと思います。

赤羽晋

赤羽晋
新段位 初段
所属 野庭
昇段審査日 2009年10月25日(日) 
審査会場 BUMB東京スポーツ文化館
黒帯授与日 2010年1月17日(日)



昇段レポート

 この度、昇段審査を受審させて頂き誠に有難うございました。 坂本師範はじめ、先生、諸先輩方並びに道場生の皆さん、改めて御礼申し上げます。
 空手との出会いは息子がきっかけでした。戦いごっこが好きだった息子が空手を始め、 私自身も空手に興味がありましたので、稽古の日には仕事も早々に切り上げ、 付いて行く始末でした。何と言っても「空手バカ一代」はリアルタイムでしたので・・・。 どんどん熱中していく息子を見て、本当の辛さや厳しさを分かりもしないのにあれこれと 口を出す様になっていました。後にある先輩が話していました。「ラスト5秒の辛さはやって みなけりゃ分からない」と。まさにその通り!自分自身この辛さを味わう事になるとは、 思ってもいませんでした。今では、その辛さを親子で共有しつつ、共に学び合っています。
 40歳も過ぎ、仕事から帰る時間も未だ不規則で寝る時間も無い日々が続いた時には、 何度投げ出そうと思った事か・・・。しかしその度に、勇気づけられるのは坂本師範の 口にガムテープを貼りながらビックミットを叩き、未だ現役で全日本大会、世界大会に挑む姿でした。 自分より5つ年上の坂本師範に、こんな姿を見せられては何も言えません。逆に、自分自身まだまだやれるのでは・・・。 否、やらなくては!と思える様になりました。 そして坂本師範の「それは気のせい」「すべてが修行」の言葉が、私に余裕をあたえてくれました。 そんな坂本師範の教えを今後とも後輩へ繁いでいければと思います。
 最後にこの場をお借りして、家族へ一言。どこの家庭でも同じだと思います。 家族の協力なくして好きな事をやり続ける事は出来ません。感謝しています。 そして、これからも宜しくお願いします。私自身、自問自答の日々ではありますが、日々精進して行きたいと思います。押忍

松尾浩一

松尾浩一
新段位 初段
所属 新小岩
昇段審査日 2009年10月25日(日) 
審査会場 BUMB東京スポーツ文化館
黒帯授与日 2010年1月17日(日)



昇段レポート

 この度は昇段審査の機会を与えて頂き、本当にありがとうございました。 尾谷師範、新小岩・高砂道場黒帯の先輩方のご指導、道場生、ご父兄の皆様のご協力、 温かい応援があったからこそ、困難を乗り越えることができ、ここまで到達することができました。改めて御礼申し上げます。
 坂本道場(新小岩道場)に入門したのは10年前です。肉体的にも精神的にも弱い自分を変えられるようにと、 極真空手の道場に入門しました。ビッグミットを使った稽古は今までに経験したことのないハードなもので 酸欠状態になったことを覚えています。交流試合では毎回緊張し、自分の弱さが出てしまい、なかなか勝つことが できませんでした。それでも先輩や道場生の皆様からの励ましやアドバイスを頂きながら稽古を継続することで、 上級の交流試合で優勝することができました。その後、一般の大会に何度か出場させて頂きましたがそちらでは 全く通用せず、ミット稽古ばかりを続けていました。
 昇段審査のお話を頂いてからは、今まで疎かにしていた基本、移動、型の稽古を重点的に取り組みました。 尾谷師範からの『ミット稽古ばかりでは強くなれない。空手本来の動きである受け返しや呼吸は、 基本、移動、型を通じて身に付けるものである。』との教えを信じ、組手につながるように意識して基本、 移動、型の稽古を行いました。しかし、審査の最後の10人組手では、応援頂いた黒帯の先輩方、 道場生の皆さまの励ましで何とか気持ちを切らず動くことができましたが、全く未熟な内容でありました。
 このような私ですが、昇段の機会を与えて頂いた坂本師範、尾谷師範、また新小岩・高砂道場の皆様、 本当にありがとうございました。真の黒帯に近づけるようこれからも精進する所存です。押忍

四本暁

四本暁
新段位 初段
所属 田町
昇段審査日 2009年10月25日(日) 
審査会場 BUMB東京スポーツ文化館
黒帯授与日 2010年1月17日(日)



昇段レポート

 この度は、昇段審査を受審させて頂き、さらに初段に昇段させて頂いた事を心より感謝申し上げます。 また、昇段にあたってご指導下さった坂本師範、並びに諸先輩方、道場の皆様方に、心より御礼申し上げます。
 空手を始めて10年近くになりました。強さへの憧れから気軽に始めたのですが、極真空手の稽古は、想像以上に厳しいもので、 途中あまりの辛さに、道場へ行く事を何度躊躇したか分かりません。しかし、道場への足が遠のけば、強さへの渇望と 後悔の気持ちに追われ、いつの間にか道場へ通う自分がいました。
 極真空手で培った考え方、例えば、あきらめない、最後までやりぬくといった精神論は、空手だけでなく 仕事においても多いに通じるところがあるように感じます。苦しかった時、何度となく、極真で培った精神力が 自分を奮い立たせてくれました。不思議な縁を感じるというか、人を魅了して止まない何か大きな力があると感じております。
 この度、黒帯を締める事を許して頂きましたが、これを機に、空手修業の始まりと自覚し、社会生活においても、 自らの壁を超越していこうと考えております。また、微力ながら坂本道場の発展に協力させていただこうと思っております。押忍

太田剛

太田剛
新段位 初段
所属 座間
昇段審査日 2009年10月25日(日) 
審査会場 BUMB東京スポーツ文化館
黒帯授与日 2010年1月17日(日)



昇段レポート

 この度は、昇段のチャンスとお許しをいただきまして、坂本師範、石井先生をはじめ、 師範、先生、先輩そして道場仲間の方々に心より御礼申し上げます。
 私が極真空手を習い始めた理由は、息子の教育と親子のコミュニケーションにとても役立つと 思ったからです。息子を入門させる前に、自分が息子をある程度指導できるようになりたいと思い、 35歳で他道場に入門しました。その頃は、基礎体力不足だったので、稽古についていけるか不安でした。 それでも、スパーリングで痛めつけられるたびに、闘志に火がつき、極真空手にのめりこんでいきました。 坂本道場に入門してからは、息子と一緒に空手ができるようになり、ますます楽しくなりました。 今では、極真空手は私の中で、家族と仕事に続く大切なポジションにあり、決して失いたくないものになりました。
 10月25日の昇段審査は、型も10人組手も決して満足できる内容ではありませんでした。 半年かけて準備してきたにもかかわらず、自分の未熟さを自覚することになりました。 これが今の自分の実力と認識して、課題をもって日々の稽古をしなければならないと痛感しました。
 今後は、坂本師範の70人組み手を通して感じた事を胸に刻んで精進し、黒帯として恥ずかしくない人間に なるつもりです。そして、坂本道場と座間道場に少しでも貢献できたらと思います。ありがとうございました。押忍。

平山一成

平山一成
新段位 初段
所属 高砂
昇段審査日 2009年10月25日(日) 
審査会場 BUMB東京スポーツ文化館
黒帯授与日 2010年1月17日(日)



昇段レポート

 はじめに、この度、昇段審査の機会を与えて頂き、有難うございました。 坂本代表師範・尾谷師範をはじめ、指導員・先輩方皆さんのご指導のおかげで昇段することができました。
 高校に進学してから「黒帯を締めたい」と強く意識し始めました。 以前は「黒帯」は遠くから見ているだけで自分には「関係のないもの」くらいの意識しかありませんでした。 今は黒帯を締められると言うことが「周りの人達の協力や助けがあって挑戦できるもの」であり、 「昇段に向かって全力で達成しようと努力するもの」と言うことが昇段審査を経験し良く分かりました。
 私の空手のスタートは、姉が通っていた極真会館千葉北部支部に入門したのが始まりです。 小学生のころは、試合に出場すれば必ずと言っていいほど一回戦で負けていました。 悔しくて休まず稽古に通いましたが思うように強くなりませんでした。
  空手への関心が変わったのは、都内に引っ越し、姉弟3人で尾谷師範に指導していただく事になってからです。 道場での稽古や合同強化稽古など全てが新鮮で空手の稽古がきつくても「楽しく」感じました。 組手や基本・移動稽古、特に「型」では細かな動作の違いがあり、吸収することが沢山ありました。
 中学2年生の頃から、出場する大会で少しずつ結果が出せるようになり、組手にはそれまで以上に 真剣に取組むようになりました。
 昇段審査では、日頃稽古していることをそのまま出し切ることの難しさや集中力など足りないところが 多いことを強く感じました。この経験を課題として、今後の稽古に生かしていきたいと考えています。 「初段」という目標を達成することが出来たのは、尾谷師範の厳しい指導のおかげは勿論ですが、 小学校入学から空手を習わせてくれ、空手の出来る環境・特に中高進学など空手に対する自分の目標を サポートしてくれた両親が居たからだと感謝しています。
 おわりに、これから坂本道場の黒帯として今以上に試合において妥協の許されないプレッシャーとも 戦っていかなければなりません。自分の空手に対するテーマは、折れない心を強く持ち続けるということです。 これから更に経験を積んで、一歩ずつ前進し極真の理想と言われる「小よく大を制す」心技体を目標に 取組んで行きたいと決意しています。押忍

仲上龍馬

仲上龍馬
新段位 初段
所属 港北
昇段審査日 2009年10月25日(日) 
審査会場 BUMB東京スポーツ文化館
黒帯授与日 2010年1月17日(日)



昇段レポート

 僕が空手を始めたのは、小学3年生の時です。転校早々学校でいじめられ、 あまりに気持ちの弱い僕を見て「空手をさせるしかない!」と両親に無理矢理道場に連れて行かれ、 言われるがまま入門しました。僕は空手にとても怖いイメージを持っていたし、組手が痛くて嫌いだったので、 基本稽古や移動稽古は覚えても、組手は真剣にしていませんでした。だから、級は上がっていくのに、 黄帯になっても交流試合で一度も勝った事がありませんでした。
 ある日初めて稽古を見に来た父は僕のあまりの適当さに驚き、僕はその夜ひどく叱られました。 それからやっと真剣に稽古に励むようになりました。そしてその一ヵ月後、4年生の交流試合で、 初めて試合で勝つことができ、そのまま勝ち進んで準優勝することができました。 本当にうれしくて、もっと強くなりたいと思いました。
 でも、現実は甘くはありません。「強くなりたい!」という気持ちで強い先輩に向かっていっても、 一瞬で倒され、一度の稽古で7回は泣かされました。本当につらく、何度も逃げ出したい気持ちに襲われました。 そんな毎日が続くある日、道場に行ったらたまたま師範と二人だけで、直々に稽古をつけていただくことがありました。 師範は全国大会のすぐ後で、傷だらけで、足が変な方向に曲がっているのにビックミットを持って稽古をつけて下さり、 多くの事を教えてくれました。その頃からいろんな大会でも結果を残すことができるようになりました。
 そしてあれから3年、この度の昇段審査。10人組手などとても不安でしたが、坂本師範の「気持ちと気合」という言葉が 頭をよぎり、「よしやるぞ!」と勇気が出て、最後までやりきることができました。 「継続は力なり」弱かった僕が空手を続けることで成長することができました。これまで支え指導してくださった坂本師範、 先生方、たくさんの先輩方のおかげです。これから僕は極真の「初段」という自覚を持って行動し修行していきます。 まだまだ色々な面で弱い僕ですが、これからも日々努力し、頑張っていきますので、今度ともよろしくお願いします。押忍

山中誠道

山中誠道
新段位 初段
所属 高砂
昇段審査日 2009年10月25日(日) 
審査会場 BUMB東京スポーツ文化館
黒帯授与日 2010年1月17日(日)



昇段レポート

 小学校2年生の時、父親の「行って来い。」の一言で、高砂道場に何をするのかも分からないまま 入門していました。入門した時は、尾谷師範が手取り足取りやさしく、そして厳しくいろいろな事を 教えて下さいました。少しずつ友達が増え、稽古が楽しくなりましたが、いざ稽古時間に入ると皆の表情がしまり、 緊張した空気が流れ出していました。この空気が大嫌いで、4年生の頃、一週間程サボった日もありました。 そんな挫折を乗り越え、試合で勝ち取ったトロフィーは、何よりも大きく輝いていました。
そんな僕に今年の6月、昇段のお話をいただいた時は、喜び半分不安半分でした。 帯研や合宿には出ていましたが、組手の実力がまだまだ先輩方から劣っていたからです。 何より、10人組手というプレッシャーが大きく、また逃げようと思いました。 しかし、それでは過去の自分と同じで、今までの辛かった日々を思い出し、 必死に自分と戦い、向き合いました。そして今自分は、審査合格と書いてある、 これまでの努力の賜物・宝を手にしました。「継続は力なり。」この言葉の意味を深く、強く実感した瞬間でもありました。
 黒帯というのがゴールではなく、一つの目標だと考え、また新たな目標へと努力していきたいと思います。 最後に坂本師範をはじめ尾谷師範やご指導してくださった諸先輩、本当にありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。押忍

多田元気

多田元気
新段位 初段
所属 高砂
昇段審査日 2009年10月25日(日) 
審査会場 BUMB東京スポーツ文化館
黒帯授与日 2010年1月17日(日)



昇段レポート

 僕は小学3年生の夏から、友達に誘われて空手を始めました。 始めた頃は稽古が楽しくて道場に行くのが楽しみでした。 初めて昇級審査を受けた時は、とても緊張しました。 審査に合格し帯の色が上がった時は本当にうれしかったです。 それからますます稽古が楽しくなりほぼ毎日のように稽古に行くようになりました。 そして一生懸命練習に励み、5年生の時はじめて交流試合で優勝することが出来ました。 初めて優勝した時のことを今でもしっかり覚えています。 中学生になり部活動に入り、空手よりも部活動の方が楽しくなってしまい、 しだいに稽古に行かなくなってしまいました。でも、もう一度空手を頑張ってみようという 気持ちになり稽古に行くようになりました。今までさぼっていたせいでものすごく稽古が 辛かったことを覚えています。何ごとも日々の努力の積み重ねが大事だということを 改めて実感しました。そして今まで以上にまじめに稽古をして自分なりに力をつけました。 そして師範から「黒帯を受けてみるか?」という話を頂いたので僕はうれしく、黒帯を受けることを決心しました。
最後に僕がここまでこられたのは、師範、指導員そして先輩達のご指導のおかげだと思います。 大変感謝しています。本当にありがとうございました。これからは初段という自覚を持って後輩たちの手本となれるように頑張りたいと思います。押忍

片岡晴也

片岡晴也
新段位 初段
所属 高砂
昇段審査日 2009年10月25日(日) 
審査会場 BUMB東京スポーツ文化館
黒帯授与日 2010年1月17日(日)



昇段レポート

 今回は昇段審査を受けさせていただきありがとうございました。
ぼくは7才のころから空手をはじめました。空手をはじめたきっかけはポストに入っていたチラシです。 そのチラシを見て近くの道場に入門しました。入門当時は泣き虫で先生と組手をするたびに泣いていました。 試合に出るようになると負けるのがくやしくて練習を頑張るようになりました。
3年生の頃ケガなどが理由で坂本道場に移ることになりました。坂本道場にはサンドバッグやミットがたくさんあり 今までの道場とはちがうことを感じました。型もそれまで通っていた道場とちがったので覚えるのが大変でした。 坂本道場に入って同学年の友達や先輩ができすごくうれしかったです。 合宿などもかなりの人数で行くため、つらい事もありましたが楽しかったです。 その後は学年があがるたびに練習と試合の回が減っていくようになり、6年生になると稽古の内容がミットや組手ばかりになりました。 中学生になってからは、部活がありケガも増え試合はかなり減りました。 だんだん部活と空手が大変になり空手をやめたいと思うことが何度かありました。 だけど黒帯をとりたいという思いで頑張ってきました。ぼくには昇段審査に合格したことが夢のようです。
今まで稽古を見て下さった坂本師範、尾谷師範、田中指導員他諸先輩の方々に感謝しています。どうもありがとうございました。押忍

高薄賢治

高薄賢治
新段位 初段
所属 港北
昇段審査日 2009年10月25日(日) 
審査会場 BUMB東京スポーツ文化館
黒帯授与日 2010年1月17日(日)



昇段レポート

 この度は昇段を許して頂きましてありがとうございます。 坂本師範をはじめ、お世話になりましたすべての皆さんに心から感謝します。  さて私は、坂本道場に入り約二年半がたちました。
 以前は異なる流派で空手をしていましたので、もう一度やるなら極真で、やるからにはとことんやってやろうという 思いから内弟子という形で坂本道場に入門しました。坂本師範のことはインターネットを通じその経歴などを調べていましたが、 一緒に稽古をしてみると、自分が根をあげるきつい練習を表情一つ変えずにこなして いて、師範の心の強さを実感し、道場の選択に間違いはなかったと思い、今日まで邁進することができました。 おかげさまで今では毎日の稽古だけでなく、苦しいことや辛いことも修行と捉え前向きに受け入れることができるようになりました。
 今後は、自分自身の努力精進はもちろん、教える立場として、坂本師範をはじめ、諸先生方を手本とし善処することをここに約束します。押忍

古谷敬子

古谷敬子
新段位 初段
所属 武蔵小山
昇段審査日 2009年10月25日(日) 
審査会場 BUMB東京スポーツ文化館
黒帯授与日 2010年1月17日(日)



昇段レポート

 この度は昇段させていただき、有難うございました。
 私が空手を始めたきっかけは、それまでやっていた商売をやめ時間が出来たので、 何か始めたいと思い、息子に習わせていた事もあり、私もやってみようと軽い気持ちからでした。 私より先に始めていた数名のお母さん方の道着姿がとても格好良く、私も早くあの様になりたいと思ったものです。
 入門してみると、運動が苦手で鈍い私は、基本稽古、移動稽古をなかなか覚えられず、型などは尚更のことでした。 指導して下さる先生、先輩に悪いやら、恥ずかしいやらで、何度もやめてしまおうと思ったり、理由をつけてサボったりしていました。 それでも続けていれば何とかなるもので、覚え始めると楽しくて仕方なくなりました。 今では空手は私の日々の糧、人生の彩りとなり、なくてはならないものになりました。 そして、私がここまで来れたのは、匙を投げず指導して下さいました坂本師範はじめ、 諸先生、先輩方、そして道場生の皆様のおかげです。本当に感謝の気持ちで一杯です。 いつも前向き、エネルギッシュで行動力溢れる坂本師範には、もっともっと教えて頂きたい事、 影響されたい事が沢山あります。若い人のようにはいきませんが、これからも私なりに模索して、 技を磨き、更には空手を通して自分自身も磨いていきたいと思っております。重ねまして、この度は本当に有難うございました。押忍

沼本秀子

沼本秀子
新段位 初段
所属 武蔵小山
昇段審査日 2009年10月25日(日) 
審査会場 BUMB東京スポーツ文化館
黒帯授与日 2010年1月17日(日)



昇段レポート

 この度、初段に認定して頂いたことに於いては、未だ実感が湧かず、自分自身信じられない気持ちでおります。 そもそも今から凡そ十年前、坂本道場に入門する迄は、軽い運動でさえ殆どした事のなかった私は、 日々椎間板ヘルニアや偏頭痛などに悩まされるような、大変脆弱な人間でした。ですから入門当初は稽古がとても辛く、 毎回筋肉痛や筋肉疲労に苦しんでおりましたが、次第に慣れてくると、寧ろ身体を動かさずには居られなくなり、 徐々に稽古が待ち遠しく思えるようになりました。日頃の継続的鍛錬に因って、体力のみならず、精神力をも養えたことは、 私の人生を大きく左右する結果に繋がったように思います。こうして十年間続けてこられたのは、坂本師範をはじめ先輩方のご指導、 ご尽力あってのことであり、また共に歩んで来た仲間の支えがあってのことと思います。 今はまだ分不相応な、初段という帯に恥じないよう、今後とも心身の鍛錬を怠らず、精進してまいりたいと思いますので、 引き続きご指導の程、宜しくお願い致します。

山崎圭子

山崎圭子
新段位 初段
所属 武蔵小山
昇段審査日 2009年10月25日(日) 
審査会場 BUMB東京スポーツ文化館
黒帯授与日 2010年1月17日(日)



昇段レポート

 この度は昇段審査受審の許可を戴き、諸先輩方と共に審査会に参加させて頂きました事、心より感謝申し上げます。
 私は子供のころから体を動かす事が大好きで、学生時代は剣道を、社会人になってからはゴルフなど常にスポーツを楽しんできました。 以前から極真空手に興味があったのですが、日々の仕事や生活に追われる毎日でなかなか余裕が持てず、やっと自分のための時間が 持てるようになった41歳の春、坂本道場に入門させて頂きました。
 入門当初は打撲や筋肉痛との闘いではありましたが、教えて頂く全てがとても新鮮な驚きで、 週1〜2回の稽古の日が待ち遠しくとても楽しみなものとなりました。初めて色帯を頂いた時の歓びや、 試合の時の緊張と興奮など色々な事が思い起こされます。7年を過ぎた今でも私はやっぱり空手が大好きで、 ストレスだらけの辛い日常から離れ、頭を空っぽにして思いっきり汗を流す清々しさは入門当初と変わらず、最高の気分です。 そしてそんなわずかなひとときが、今の私にとって自分をリセットし、前向きな気持ちにさせてくれる、 なくてはならない貴重な時間となっています。
 この先どれくらい続けていかれるかは分かりませんが、空手を通じ学んだ「自分を諦めない」をこれからの目標とし、 私が一番私らしくいれるこの時間を大切に、1日でも長く坂本先生をはじめ、道場生の皆さんと同じ時間を共有させて頂けたら幸せに思います。
  最後に、何も分からない私に親切に一から指導して下さった坂本先生、指導員の先生方、そして共に稽古して下さった道場生の皆さん、 家族や友人・・・私を支えて下さったすべての方々への感謝を申し上げるとともに、これからもしっかりと前を向いて日々精進して いくことをここに誓いたいと思います。
押忍、ありがとうございました。

大場那緒太

大場那緒太
新段位 弐段
所属 武蔵小山
昇段審査日 2009年8月9日(日) 
審査会場 石川県白山市松任武道館
黒帯授与日 2009年10月25日



昇段レポート

 空手を始めて十年半。学生時代はただ強くなりたい、試合に勝ちたい思いで、稽古していました。少年(少女)部から一般部に移ると壁にぶつかりました。自分自身の「精神的弱さ」でした。何度も大事な所で諦めてしまう弱さ。言い訳してしまう弱さ。表情に出してしまう弱さ。今後、空手家、社会人として成長するため乗り越えていかなければならない壁でした。何度も乗り越えられなくて悔しい思いをし、それでも自分を奮い立たせてくれたのは、坂本師範でした。稽古に取り組む姿勢、試合での精神的強さ、何よりも前を向いて突き進む大切さに気づかせてくれました。指導員になることで責任感を持つようになり、何事にも黒帯として参加する事で、自ら積極的に空手に取り組めるようになりました。
 転機は、去年の全日本ウエイト制に出場した時に訪れました。優勝できるなどとは全く思いませんでした。ただがむしゃらに何も考えず、前向きにやってきた成果が表れたのだと思います。
 今年は負けはしたものの、国際大会という素晴らしい舞台に出場する経験をさせて頂きました。社会人となり、仕事と空手の両立の難しさを感じていたところでした。 そんな時、坂本師範から一つ上のレベルに行こうと言う言葉を頂き、坂本師範自身が七段の昇段審査を受審するということで、私も今よりワンステップ人間として、空手家として成長出来るよう弐段の受審を決意しました。また、どうせ受けるなら坂本師範と一緒に受けたいと強く思い、石川の浜井師範の所で受審することを決意しました。
 審査当日、体育館はとても暑く立っているだけで汗が噴いてきました。自分の20人組手が始まると決していい内容ではなく、最後は立っているだけで精一杯の自分に対しとても悔しかったです。すぐに坂本師範の70人組手が始まり、師範の常にどんな状態でも目線を崩さない、体が限界を超えても決して諦めない姿に多くの事を学ぶ事ができ、今後私自身の空手に生かしていかなければならないと思いました。
 最後に、坂本師範、諸先輩方、坂本道場の皆様、また昇段審査を受けさせていただいた浜井師範、また応援して下さった浜井道場の皆様、ありがとうございました。今後、坂本道場の弐段として恥じぬよう、又、自分の壁を乗り越えられるよう日々精進していきたいと思います。本当にありがとうございました。                                      押忍

三田裕司

三田裕司
新段位 初段
所属 足利
昇段審査日 2009年2月22日(日) 
審査会場 栃木県
黒帯授与日 2009年3月



昇段レポート

 この度は、昇段審査を受審させて頂き、ありがとうございました。 茂木師範をはじめ、田所先生、阿部指導員、津久井指導員、先輩の方々、道場生の皆様、 ご指導ありがとうございました。
 私が空手を習い始めたのは、今から6年半前になります。それまでの人生において、様々な場面で 厳しい事や辛い事などを避け、闘争心の欠片も無かった私は、強い自分になりたいと次第に 思うようになりました。そこで、格闘技を始めたいと思い、様々な格闘技の中から「日本人なら空手がよいのでは」 と思い、「空手なら実践空手の極真空手が良いのでは」と安易な考えから、入門を決意致しました。 実際に入門してみますと、稽古が厳しく毎回毎回ヘトヘトになり、時には青あざなどを作って帰っていました。 そんな中、基本稽古や型稽古など色々な事を1つずつ覚えていく事の喜びに充実感を感じていた事を今でも覚えています。
 今日まで私自身空手を通じ、礼儀作法、相手を敬う気持ち、目標に向かって努力する事の大切さ、 1つの事を継続する事の難しさ、共に汗を流す仲間の大切さを学びました。また、試合では勝つ事の嬉しさ、 負ける事の悔しさ、応援して下さった皆様への感謝の気持ちの大切さを学びました。この様な様々な事を学ばせて 頂いた空手に出会えた事に、本当に感謝しております。
 最後に、今回昇段をお許し頂きまして、誠にありがとうございました。昇段審査では、 自分の思い描いていた動きとは程遠いものとなりましたが、応援して下さった皆様のおかげで、 最後まで何とかやり遂げる事が出来ました。しかし、改めて自分自身の心身の弱さを痛感致しました。 今日より、黒帯としてスタートラインに立ちますが、初心を忘れず、もう一度身を引き締めて、黒帯の名に恥じないよう 精進して参りたいと思っております。今度ともご指導、ご鞭撻の程、よろしくお願い致します。押忍

塚島大地

塚島大地
新段位 初段
所属 佐野
昇段審査日 2009年2月22日(日) 
審査会場 栃木県
黒帯授与日 2009年3月



昇段レポート

 僕が極真カラテを始めたのは小学2年生の時でした。友達が習っていたので、勧められて佐野道場へ 見学に行ったことが始まりです。戦っている友達の姿を見て、自分も強くなりたいと感じ、入門しました。 稽古はとても苦しく、泣いた日もありましたが、強くなると決めたことを心の中で再確認しながらがんばりました。 初めての大会では、対戦者の力に圧倒されながらも、諦めずに立ち向かったので、準優勝を修める事が出来ました。 トロフィーを頂いた時は今までにもらった何よりも重く感じました。
 入門から2年が経ち、小学4年生になった時、茶帯を取るための審査を受けました。僕は身長が高く同い年の 道場生に組手で勝っていたため、調子に乗っていました。この審査会でも組手では充分に力を発揮できましたが、 基本や型が出来ていなかったため、落ちてしまったのです。この時に、自分の甘さを感じました。 僕はとても反省し、基本や型にも力を入れて稽古する様になりました。
 この一年は黒帯を取るために、気合を入れて稽古にはげみました。審査では、十人組手など困難もありましたが、 師範をはじめ、指導に当たって下さった先輩方、家族、そして後輩の皆さんのおかげで、がんばる事ができました。
 極真カラテを5年続けてきて、体力はもちろん、あきらめない精神力もつきました。また、人の痛みも知ることができたので、 ケンカをみたらすぐにとめられるようになりました。これからは黒帯という立場になるので、下級生の手本となって指導をし、 そして、自分も磨きさらに上へ上へと進みます。「初段」という自覚を持ってこれからの稽古に力を入れていきたいと思います。 押忍

中村順子

中村順子
新段位 初段
所属 栃木
昇段審査日 2009年2月22日(日) 
審査会場 栃木県
黒帯授与日 2009年3月



昇段レポート

 この度は昇格審査を受審させて頂けた事、又、昇段させて頂けた事に心より感謝申し上げます。
 子供の稽古に付き添っているうちに、自分も後ろで見よう見まねでやり始めたのがきっかけでした。 そのうち、胴着を着て練習に参加するようになったものの、初めはただ子供に助言できればとの軽い気持ちでしたので、 昇段する気持ちなど皆無に等しかったというのが実情でした。しかし子供達がどんどん昇級して行く中、 自分の中に負けたくないという思いが生まれ、気がつけば、いつの間にか子供より空手にのめり込んでいる自分がいました。
 審査当日は、何時になく緊張の連続で全てに於いて満足のいく出来ではありませんでした。 この経験を無駄にする事なく、日々、反省し、練習に励んでいきたいと思います。
 入門してから現在に至るまで、一から指導して下さった諸先生方、諸先輩方、又、組み手の相手など一緒に 稽古してくれた道場生の皆様ありがとうございました。 空手を通じ、苦しい時こそあきらめずに頑張る事、継続する事を学びました。 昇段した事に未だ自問自答の日々ですが、昇段したからには、「己に厳しく」初心を忘れることなく 極真の道を日々精進し、頑張りたいと思います。

井上正志

井上正志
新段位 四段
昇段審査日 2009年2 月15日(日) 
審査会場 静岡県大石道場(静岡市北部体育館)
黒帯授与日 2010年3月15日(日)



昇段レポート

 この度は極真連合会公認昇段審査を受審させていただき誠にありがとうございました。大石代悟主席師範、田畑繁理事長、大石道場関係者の皆様に厚くお礼申しあげます。
22年前、極真空手に出会いこれまで続けることができた私は、本当に幸せ者です。今回昇段審査に挑んだ理由は、昨年私にとって最大の目標であった世界大会が終わり、もう一度初心に戻って自分の空手を見直す必要があると思ったことです。
現在、一道場を任され、道場責任者として大勢の道場生に指導していくなかで、正確に極真空手を伝えられているのかという思いと、今までの私の稽古が試合中心の稽古内容であったため、基本・移動・型といった空手本来の稽古が疎かになっているのではないかという思いがありました。昇段審査は空手の全てが試される場所なので、私自身空手を志す一道場生に戻る気持ちで稽古に取り組みました。また、自分の課題でもある精神力の弱さも、連続組手を通じて克服することができるのか、自分自身に打ち克つことができるのかという挑戦でもありました。
 今回の昇段審査を振り返ってみて感じたことは、改めて「自分の未熟さを知った」ことです。空手技術、精神的にもまだまだであると痛切に感じられました。「不動心」、その境地にいくらかでも近づきたいと心がけて臨みましたが、今の私では実に容易ならぬことで、まことに恥ずかしい審査内容でした。この貴重な経験を今後の空手修行に生かしていく所存です。
 最後になりましたが、まだまだ極真空手四段として足りない部分がある私に、昇段の許可を与えて下さいました坂本師範、また普段共に汗を流し、稽古に励む港南台道場の皆さん、本当にありがとうございました。これからも初心を忘れること無く努力精進してまいります。押忍

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