2007年度昇段 レポート

昇段レポート年度別見出し

曲師 克哉

曲師 克哉
新段位 初段
所属 武蔵小山道場
昇段審査日 2007年9月30日(日) 
審査会場 港区立芝小学校
黒帯授与日 2007年12月2日(日)



昇段レポート

 ぼくは、五才のころから空手を始めました。始めた頃は、つらく苦しい事ばかりでしたが、続けていくうちに試合に勝ったり、帯の色が上がったり、少しずつ楽しくなっていきました。小学五年生位から一般でも練習するようになり、色々な先輩と知り合う事が出来ました。そして、先輩達から色々教えてもらい、大変かわいがってもらいました。
 今までぼくは自分の事ばかり考えていたけれど、黒帯は教える立場だし、後輩の面倒も見てあげないとならないし、黒帯は大変なことばかりです。でも、黒帯は自分の望んだことだし、あこがれでもありました。
 黒帯になるにあたって、自分の目標は二つあります。一つ目は空手の技術はもちろんの事、精神面でもきたえていきたいと思います。今までのぼくは、精神面での弱さが試合に出てしまう事が多く、帰ってから試合のビデオを見て、何度となく、悔しい思いをしてきました。これからは同じことをくり返さないように今まで以上に努力していきたいと思います。  二つ目は、今までぼくが師範と先輩たちから教えて頂いたことを、後輩に教えていきたいと思います。ぼくがここまで続けてこれたのは、師範と先輩たちのおかげだと思っています。  まだまだ、たくさん教えていただくことが多いので、これからもよろしくお願いいたします。   押忍

赤羽 太河

赤羽 太河
新段位 初段
所属 野庭道場
昇段審査日 2007年9月30日(日) 
審査会場 港区立芝小学校
黒帯授与日 2007年12月2日(日)



昇段レポート

 僕は、幼少の頃、戦いごっこが好きだったので、空手を始めることにしました。最初にいた道場には、友達も一緒に入り、まだ小さかったのでよく泣きはしたものの、楽しくやっていました。そこで色々事情があり、伊藤道場というジムのような道場に移ることになりました。そこは、ほとんど大人ばかりで、自分なりには組手も楽しんでやっていましたが、同学年がいなく、大人とばかり組手をしていたので、試合で成果をあげることができませんでした。しかし、前の道場で空手を続けていた友達が、坂本道場に移るということを父から聞き、自分も坂本道場に移ることにしました。伊藤師範に相談すると、「太河がそう思うなら、そうしなさい。そして頑張りなさい。」と背中を押して下さいました。
 坂本道場では、今まで以上にきつい稽古が多く、思う様に出来ない時に「やめたい。」と思う事もありましたが、「ここでやめたらいけない。」と思い直し、続けてきました。そして五年生のときに、初めてグラチャン(大阪で行われるヘッドギア無しの全日本ジュニア大会)に出ました。真ん中に「どん」とある大きなコートにすごく緊張し、並んでいる時にトイレに行きたくなった事を覚えています。そこでは、あまり良い結果は残せませんでしたが、翌日の全日本ウエイト制大会での師範や先輩方の試合を見て、こんな風に格好いい組手をしてみたいと思い、心を入れ替えて稽古に励みました。そして、中学一年になり、春の全国Jr大会や大阪のグラチャンで優勝する事が出来ました。
 今回の審査で昇段させて頂けたのは、日頃の練習の成果を出し、型や十人組手を行ったからだと思います。終わった後自分の中に達成感がありました。そして、師範や先生方に挨拶に行った時、師範に「顔に出すな。」と言われました。このことは、今後の稽古でも心がけていこうと思いました。この様な結果につなげてこれたのは、師範や先生方、先輩方、そして自分と共に空手稽古に励んでいる父親など、多くの人達のおかげです。これからも、その事を忘れずに、更に稽古に励んでいこうと思います。   押忍

高木 貴一

高木 貴一
新段位 初段
所属 高砂道場
昇段審査日 2007年9月30日(日) 
審査会場 港区立芝小学校
黒帯授与日 2007年12月2日(日)



昇段レポート

 今回は昇段審査を受けさせて頂いて、ありがとうございました。
 自分は、小さい頃から空手に興味があり、一年生の時から空手を始めました。初めは他流派で稽古していましたが、極真空手にあこがれ入門しました。空手を始めた理由は、昔から体が小さかったので強くなりたいと思っていたからです。始めた頃は、稽古も楽しかったですが、昇級するにつれてきつくなり、毎回稽古に行くたびに泣き、空手が嫌になった時期もありました。試合に出ては、一回戦か二回戦で負ける事が続き、入賞した人たちをうらやましく思っていました。  とにかくトロフィーにあこがれ一生懸命稽古し、始めての入賞が三位でした。その時のトロフィーがすごく大きく見えて、ものすごく嬉しく、寝るまでトロフィーと賞状をずっと眺めていました。
 今ではいい思い出ですが、そんな自分が極真会館の黒帯を締めるなんて、今でも信じられない気持ちです。黒帯は今までの色帯とは、全く違う意味を持っていると思います。今までは、自分の事だけを考えて稽古してきましたが、これからは後輩達の面倒も見ていかなくてはならないと思っております。道場でも、後輩達の見本になるような人間にならなくてはいけません。
 まだまだ未熟者ですが、一生懸命修行して、一人前の空手家を目指して行きたいと思います。そして、いつか必ず世界大会に出場し、優勝したいと思っております。最後に今まで指導して下さいました、坂本師範、尾谷師範、事務局の方、黒帯の先輩方にお礼申し上げます。ありがとうございました。これからも一生懸命やっていきますので、宜しくお願いします。押忍

奈良橋 彪紘

奈良橋 彪紘
新段位 初段
所属 武蔵小山道場
昇段審査日 2007年7月8日(日) 
審査会場 BUMB東京スポーツ文化館
黒帯授与日 2007年9月30日(日)



昇段レポート

 僕は小学1年の春、父にすすめられて空手を始めました。当時は空手と言われても、何をするのか全く想像がつかなかったので、言われるがまま入門しました。
 しかし空手は僕の想像を絶するものでした。入門した頃は、覚えることで精一杯でした。
 入門してから約1年。初めての昇級審査を受けました。まだ、僕が白帯だった頃は筆記試験があり、まだ漢字が読めなかった僕は、顔を真っ青にして審査に挑みました。このような感じで約1年間隔で審査を受け、しっかり練習もしていました。しかし、小学5年生になり、茶帯をもらってから、組手が大嫌いになって、型に専念するようになりました。型をするのが楽しくて楽しくて仕方がなかったほど熱中しました。小学5年生から6年生にかけて型の賞も取り、演武会でも活躍できました。
 中学生になってからは、また問題が発生しました。空手をさぼって遊ぶようになりました。今思えば、あの時しっかり稽古に行っていれば、もう少し結果が残せていたと後悔しますが、当時の自分は、遊びの誘惑には勝てませんでした。散々遊んだあげく、待っていたのは後悔。結局、最後には後悔すると言う事を、身に染みる程感じました。師範のお話しや両親の説教のおかげで、初心にもどって稽古することが出来ました。本当に感謝の言葉に尽きます。
 しばらくして、師範に「黒帯受けろ。」と言われた時はとても嬉しかったです。まさか、中学3年で黒帯を受けられるとは思ってもいませんでした。やっと師範に認めて頂けたのだと思ったときは嬉しくて仕方がなかったです。
 僕がここまで成長できたのは、師範や指導員の皆様、先輩方のおかげです。皆様には本当に感謝しています。今まで見守って下さりありがとうございました。また、今後もご指導を宜しくお願い致します。そして、温かく見守って下さい。僕も初段としての自覚を持ち、日々の鍛錬を怠らないよう努力をします。                                                  押忍

太田 竜司

太田 竜司
新段位 初段
所属 武蔵小山道場
昇段審査日 2007年7月8日(日) 
審査会場 BUMB東京スポーツ文化館
黒帯授与日 2007年9月30日(日)



昇段レポート

 この度は、昇段試験を受けさせて頂き誠にありがとうございました。
 僕が空手を始めたのは、8年前の10月、小学1年の時でした。きっかけは、姉が「空手を始めたい。」と言っていたので、「竜司も男なんだから入れ。」というものでした。
 僕はとても泣き虫でした。学校でも空手でも家でもよく泣いていました。特に、組手では毎回の様に泣いていました。  しかし、年を重ねていく度、泣くことも減っていき、学校でも悪口を言われてもへっちゃらになっていきました。それも空手のおかげだと思います。泣くことも少しずつ減ってきた時、茶帯になることが出来ました。とてもうれしかったです。このとき僕は「茶帯になれたんだから、もっと強くなろう。」と思いました。
 そして、小6になり、中学になり、初めて一般部の稽古に参加しました。少し緊張しました。そして、初めての稽古で泣いてしまいました。原因は組手で姉から受けた下突きでした。いくら姉とはいえ女子に泣かされ、とても悔しかったです。しかし、中2になり泣く事はほとんどなくなりました。
 中3になり、坂本師範から黒帯を受ける様言われました。しかし、塾が忙しくあまり空手に行けないまま審査が始まりました。型審査が終わり、すぐに十人組手が始まりました。とても不安でしたがなんとかやり遂げることが出来ました。とてもきつかったけれど、とてもうれしかったです。
 今の僕の目標は第一志望の高校に入学することです。そのために一生懸命勉強します。
 最後に、坂本師範、道場の先輩方、友達、応援して下さった方々どうもありがとうございました。まだまだ未熟ですが、これからもお願いします。押忍

太田 知里

太田 知里
新段位 初段
所属 武蔵小山道場
昇段審査日 2007年7月8日(日) 
審査会場 BUMB東京スポーツ文化館
黒帯授与日 2007年9月30日(日)



昇段レポート

 この度は、昇段審査を受けさせて頂きありがとうございました。私は小3の時、弟と武蔵小山道場に入会しました。入会するきっかけは、武道に興味を持ち道衣に憧れていたという些細な事からでした。稽古はきつかったけれど、日々仲間が増え、強くなるにつれてきつい練習から楽しい練習に変わっていきました。
 一般部に上がると不安がありましたが、周りの人も優しく接してくれて、少年(少女)部とは違った雰囲気での稽古がはじまりました。 型や試合で勝った時はすごく嬉しかったし、逆に負けた時は悔しくて泣いたり、後悔したりしました。 高校に入ると、とうしても部活動や勉強などで時間がとれず、やめようかなと思ったこともありました。それでも、今こうして続けているのは、やっぱり空手が好きだからだと思います。
 そんな中、坂本師範から昇段審査を受けないかと言われ、不安はありましたが、憧れていた黒帯に挑戦したいと思い、皆に励まされ審査に挑みました。自分は女なので少年(少女)部の時より男女の差が感じられ、負けず嫌いなのでそのことを悔しく思ったりもしました。でも、そこはどうしようもない事なので女子の中で頑張り、精神面でも成長したいと思います。
 今後は、黒帯としての自覚を持ち練習時間を増やしていきたいと思います。
 最後に坂本先生、これからも私達姉弟を宜しくお願いします。押忍

春原 誠

春原 誠
新段位 初段
所属 武蔵小山道場
昇段審査日 2007年7月8日(日) 
審査会場 BUMB東京スポーツ文化館
黒帯授与日 2007年9月30日(日)



昇段レポート

 僕が空手に入ったのは、友達から誘われたからです。そして、空手に入ってからは週3日ぐらい道場に通うようになりました。しかし、2年生の終りに野球チームに入り、4年生の頃からは、野球チームの中の4年生のチームにも、5年生のチームにも、6年生のチームにもレギュラーで出るようになったので、空手と野球の両立が難しくなっていき、空手へ行く日が減っていきました。また、水曜日も水泳へ行っていたので、水曜日の稽古にも出られなくなって行きました。野球チームは休みの日に必ず練習や試合をやっていたので、審査が受けられず、2年くらい緑帯が続きました。
 だから、空手を続けるのは難しいと思い、母と先生に相談に行きました。先生に「緑帯まで頑張ったのだから、週1日でもいいから空手に来るようにしなさい。一度始めたことは続けることが大切だ。」と言われ、もう一度空手をやろうと思いました。そして、6年生の終りに野球チームを辞めてから、茶帯をとりました。  中学へ入る時、高校は文武両道の学校へ行こうと思いました。子供の自分が大人に成長するように、心と体をきたえるために空手に週3日行き、前まであまりやっていなかった勉強も始めました。だから、中学は野球部のない学校へ行き、部活も運動部に入りませんでした。この頃から、空手は黒帯をとることを目標にしました。
 中学3年生になって黒帯をとってもいいと言われてからは、色々な大人の人に「前までは教えられる立場だったけれど、これからは教える立場になる。」と言われ、今後自分が誰かに教えるときに、自分がしっかりしないと相手に迷惑になると思い、今以上に空手を真剣にやろうと思いました。
 昇段審査を受けて、今から一週間前に昇段通知を頂き合格したことを知った時は、一度は辞めようと思った空手を今までやり続けてよかったと思いました。
 僕は、高校ではまた野球をやりたいと思っているので、空手は週1回くらいになってしまうかもしれませんが、空手は一生の修行だと思うので、野球を引退したら、またやりたいと思います。

小井戸 健之

小井戸 健之
新段位 初段
所属 足利道場
昇段審査日 2007年2月25日(日) 
審査会場 栃木
黒帯授与日 2007年4月



昇段レポート

 この度は、昇段審査を受けさせて頂き誠にありがとうございます。
 自分が極真の門を叩いてから数十年が経ち、今では、自分の息子と一緒に空手が出来る喜びで日々過ごしていましたが、息子に「パパ、いつになったら黒帯になるの?」と言われ、40歳を過ぎても空手を学んでいる自分がそこにいました。ここまで極真空手を続けられたのは、茂木師範、阿部先生、田所先生の御指導を始め、励まして下さった先輩方や素晴らしい仲間に恵まれたことが、今日まで空手を止めずに続けられた理由であると思います。
 師範がよく練習中に「継続は力なり」と言われる事を思い出し、辛い練習でも乗り越えることが出来たのだと思います。その事は普段の仕事に於いても非常に役立っています。
 空手で学んだことは、空手のみならず私生活でも全て役立つ事が素晴らしいと感心しています。
 空手との出会いは、テレビで格闘技などを見るのが好きで、健康の為に何かしてみたいと思った事がきっかけでした。「どうせやるなら、地上最強の空手である極真空手をしよう」と思って道場に足を踏み入れましたが、始めた頃は毎日が筋肉痛で、これから続けていけるのかと不安に思う毎日でしたが、茂木師範に励まされ、本当に多くの人に支えられたからこそ、今の自分があるのだと思います。
 素晴らしい師範、先生、仲間たちと好きな空手が出来ることを、私自身大変誇りに思っています。私にとって極真空手は、生涯の大切な宝物であります。
 これからも初心を忘れずに、息子が空手を通じて一人前の人間になるまでは、一緒に空手を続け、又、厳しい練習である日曜特訓やスパーリング等を一緒に出来る日を楽しみにしていきたいと思います。
 これからも、末永く御指導、御鞭撻の程、宜しくお願い申し上げます。   押忍

川村 悠嗣

川村 悠嗣
新段位 初段
所属 足利道場
昇段審査日 2007年2月25日(日) 
審査会場 栃木
黒帯授与日 2007年4月



昇段レポート

 この度は、黒帯に昇段させていただき誠にありがとうございます。
 僕が空手を習い始めたのは、小学校二年生の時でした。初めて見る空手の世界は興味深い物が多く、僕はすぐに道場に入門しました。でも、実際の練習はとても苦しく、僕にはとてもついて行けない練習でした。そんな僕を支えてくれたのは、茂木師範や、数多くの指導員のアドバイスや励ましのおかげだと、僕は思っています。
 黒帯の審査では、十人組手が一番印象に残っています。一人から五人目までは自分の力を出せましたがその後は疲れが見え始め、立っている状態でした。そして、最後の十人目はとても苦しく、一本を取られてしまいました。僕は悔しくて悔しくて、たまらなかったです。そんな僕が昇段出来たなんて、夢にも思っていませんでした。
 黒帯になったからには、黒帯らしく練習に取り組み、後輩達を指導していきたいと思っています。黒帯で終りではなく黒帯から始まりだと思います。だから、「黒帯になったからもういいや」ではなく、「黒帯になったぞ、これからも頑張ろう」と言えるような黒帯になりたいと思います。この度は、どうもありがとうございました。    押忍

津久井 勇

津久井 勇
新段位 初段
所属 足利道場
昇段審査日 2007年2月25日(日) 
審査会場 栃木
黒帯授与日 2007年4月



昇段レポート

 この度は、昇段を許して頂き誠にありがとうございます。全てにおいて、課題が残るできでした。基本、移動、型、更に10人組手と、日頃の稽古の半分の力も出し切れずに、 終わってしまいました。特に最後の10人組手では、自分では緊張していないと思っていましたが、身体は正直でした。突き、蹴りとも出せずに、ただ立って逃げ回るだけの組手でした。諦めず気合を入れて前へ出ようと心に決めていたのとは全く逆で、相手をして下さった各道場の先輩、日頃稽古を付けて下さる諸先生方の動きに付いて行けず、5人を過ぎた頃には、立っているのがやっとの状態でした。周りで応援してくれた皆様の声が凄く力になり完遂出来たと思います。本当にありがとうございました。入門から7年、やっと悲願の黒帯を頂く事となりました。入門の時は、黒帯を取るまでは頑張ってやってみようと思っていましたが、それは間違いであると改めました。常日頃、道場にて、茂木師範が話されるように、黒帯からが本当のスタートだと言われる事を痛感致しました。
 今回昇段を許されましたが、決して自分一人の力で出来たとは思いません。指導をして頂く茂木師範、阿部指導員、田所指導員、時々遠方より来て型や組手の稽古を付けてくれた各道場の先生や先輩の方々には、心より感謝しております。まだまだ未熟者であります。更に上を目指し、努力精進して行く覚悟で有りますので、今後もご指導の程、宜しく申し上げまして、レポートを終了させて頂きます。本当にありがとうございました。生涯現役を目指します。   押忍

嶋田 裕樹

嶋田 裕樹
新段位 初段
所属 足利道場
昇段審査日 2007年2月25日(日) 
審査会場 栃木
黒帯授与日 2007年4月



昇段レポート

 僕が極真空手に入ったのは八年前になります。最初は、友達がやっているのを見て興味を持ちやりたいと思いました。でも、実際入ってみると、とても自分にはついていけないような厳しい練習でした。でも、茂木師範や阿部先生、田所先生に基本、移動、型、ミット打ちなど一つ一つ細かく教えていただいたので今までやってこれました。
 審査当日は、今まで練習してきたことを全部出しきろうと思い、いつもより気合をいれて臨みました。 そして、とうとう、自分が一番心配だった十人組手です。最初は自分から積極的に技を出していったのですが、最後の方はほとんど攻撃が出来ませんでした。途中、苦しくてあきらめようとしたけれど、皆が応援してくれたのでとても力がでて、十人目まで戦うことが出来ました。僕はこの8年間で色々な経験をしました。その経験を生かしてこれからもがんばりたいと思います。押忍

高橋 和佳代

高橋 和佳代
新段位 初段
所属 矢板道場
昇段審査日 2007年2月25日(日) 
審査会場 栃木
黒帯授与日 2007年4月



昇段レポート

 私が極真空手を始めたのは小学校5年生の夏でした。私がとても空手に憧れていて母は反対しましたが、父が賛成してくれ入門することが出来ました。
 初めは基本を覚えることも難しく、空手ってこんなに色々な動きがあるのだとびっくりしました。そして練習を重ね初めて審査を受けた時の緊張感や迫力は今でも忘れません。
 初めて大会に出たのは小学6年生で青帯の時でした。予戦の相手が茶帯で不安な気持ちで一杯でしたが、一本勝ちする事が出来て自信が付きました。そして決勝まで進み延長戦の末、北関東大会で優勝することが出来ました。嬉しさのあまり涙がひとりでに溢れ出てきました。初めてトロフィーを手にした時はとても感動しました。
 中学に入学すると部活で帰りが遅くなり空手に行ける日が少なくなってしまいましたが、行けた時は一生懸命練習をしました。そして、中学3年生の時、1級までとる事が出来ました。
 高校生になるとさらに空手に通える日が少なくなりましたが道場に行けた時は真剣に練習し、練習が終わってからも指導して下さった高田先生のおかげで、昇段審査を受ける事が出来ました。
 昇段審査は10人組手がとても心配でしたが、先生方や周りの方からの応援が励みとなり、組手を完遂する事ができ、達成感で涙が溢れ出ました。そして、念願の黒帯になる事が出来ました。
 最後に、高田先生をはじめ諸先生方、御指導ありがとうございました。これからも黒帯にはじないよう頑張っていきたいと思いますので御指導宜しくお願いします。

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